ひとり電通マンのアド戦記

広告代理店ではたらく男の日記

加藤光夫の三段重ねとは何なのか?

加藤光夫さんは「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の制作を担当した元日本テレビの番組プロデューサー。

 

当時、加藤が毎晩のように開いていた飲み会を人はそんな風に呼んだ。加藤はたとえば20時からはスポンサーの関係者と、22時からはプロダクション関係者と、24時からは後輩たちと、というように2時間ごと三段にズラして酒の席の約束をする。すると時には前の時間帯のメンバーと後の時間帯のメンバーが顔を合わせることになる。四谷三丁目の小料理屋や加藤と親交が深かった「オヒョイさん」こと藤村俊二が経営していたバーなどにスポンサーやプロダクション関係者から営業、制作、編成に至るまで様々な人たちが入れ代わり立ち代わり訪れ、そのまま合流していったりする。やがて、それまであまり顔を合わすことがなかった人たちの間に交流が生まれ、特に若手社員にとって貴重な情報交換と人脈構築の場となった。加藤はそんな若手たちにこまめに気を配り声をかけていた。

 

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このことは、別のインタビューでも述べられている。

 

戸部田 取材したほとんどの方が、自分の恩人だったり、功労者として名前を挙げるのが加藤さん。90年代には日テレの編成部長として活躍された方です。

 その加藤さんはすごく飲みの席を大事にされる方だったそうです。「加藤光夫の三段重ね」などと呼ばれるほどで、たとえばスポンサー、代理店、日テレ関係者それぞれと同じ日に時間をズラして飲む。すると、そのまま残った人と新たに来た人との交流の場に自然となっていったっていう。それが風通しの良さにつながって日テレが元気になっていく過程としてすごく重要だったんじゃないかと思います。

ヒャダイン フジテレビも河田町にあった頃は、そういうことができたと思うんです。分岐点ですよね。

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